前回の桜の続きに静岡県にある特別天然記念物「狩宿の下馬ザクラ(静岡県富士宮市)」を見に行った。満開を過ぎていたが、菜の花と富士山の景色のなかで見事な姿を見ることができた。
狩宿の下馬桜(左)と下馬桜の前から望む富士山(右) 2023年4月5日撮影
狩宿の下馬桜は、静岡県富士宮市にある一本桜で、日本最古級のヤマザクラであり、正式な和名は「アカメシロバヤマザクラ」という。日本五大桜の1つで、他が天然記念物になっている中、これだけが国の特別天然記念物である。樹齢800年以上の日本最古級のヤマザクラである。1193年、源頼朝が富士の巻狩りを行った際に馬から下りた所であるというので下馬桜と言われている。周辺には菜の花や民家があるだけだが、桜の時期だけ地元の方が店を出して、農産物を少しだけ売っている。
1922(大正11)年10月12日に国の天然記念物に指定され、その後、1952(昭和27)年3月29日には特別天然記念物に指定された。またここから望む富士山の風景が、環境省が公開した「富士山がある風景100選」に選定されている。文部省編『天然紀念物調査報告』によると、かつては地上3尺6寸の高さにおける幹囲は8.48m、枝張は東西21.81m、南北16.33mであったというが、その後の数回の台風の影響で弱ってきており、樹勢が衰えている。
特別天然記念物に指定されている桜には、他にも「大島のサクラ株」がある。伊豆大島(東京都大島町)北東部の泉津地区の山中にある本種の株で、樹齢は推定800年であり、幹の周囲は7mに達する。主幹は高さ2mほどの部分を残して枯死しているが、数本の子株が立ち上がり、樹木を維持している。1935年12月24日、天然記念物指定され、1952年3月29日に特別天然記念物に指定された。
NPO法人東京樹木医プロジェクトのサイトにある和田博幸さんの記事によると、地元では「サクラッ株」と呼ばれ、天然記念物に指定されるずっと前から大切に保護されてきたという。昔、大島に向かって海を渡る時、この桜を目印に航海したと言われるほどの大木だったという。中心となる元株は樹高6.5m、胸高幹周6.95m、最大樹冠は9.5m(南-北)、最小樹冠7.3m(東-西)で、主幹が朽ち太枝が横たわり、一見するとあまり管理されていない古木の印象を受けるが、「サクラッ株は、自身の生命力と地元の管理があってこそ、今の形に姿を変えながら生き延びてきたことが、調査したことで分かったのです」と言う。そして大枝が元株と連なったようになっており、何年も前に元株の枝が台風などの強風で折れ、後にその場所で立ち上がったものと思われるとして、その過程を次のように想像できると、和田さんは述べている。
「①南側にあるホルトノキとスダジイに被圧され、サクラッ株が空間の開いている北東側に枝葉を伸ばす。②大風の影響などで太枝が、付け根がつながったままねじれるように倒れる。③太枝の付け根辺りから不定根が生じ、折れた枝の中を伸びる。
④不定根は地表と接した所に根を下ろし、残った地上部または根元付近から生じたヒコバエが伸び、幹となる。」
さらに、和田さんによると、
「サクラッ株は3月下旬には花を咲かせます。この時期大島ではツバキの花も併せて見ることができます。是非一度、驚異の生命力を持つサクラッ株を見に行ってください。」
また、「正確な記録として残されているものはありませんが、地質学的には1552年(天文21年)噴火の溶岩流の上に生えていることから、それ以後のものと思われます。 また、役の行者のお手植えという伝説もあり、役の行者(えんのぎょうじゃ)が699年に伊豆に流され、その時のお手植えということであれば、樹齢は1,300年となります。」
と追記がある。
日本三大桜というのは、福島県の三春滝桜、山梨県の山高神代桜、岐阜県の根尾谷薄墨桜の3つの巨木の桜のことで、これに埼玉県の石戸蒲桜と静岡県狩宿の下馬桜を加えると日本五大桜となる。
福島県田村郡三春町にある三春滝桜は、滝のようなベニシダレザクラである。町名の「三春」は、梅と桃と桜が一斉に咲いて三つの春が同時にやってくることによる。三春滝桜は樹齢1,000年を超える巨木で、枝の広がりは東西25m、南北20mある。
山梨県北杜市にある山高神代桜は、樹高10.3m、根元幹周り11.8mのエドヒガンザクラで、樹齢は2,000年と日本最古、最大級を誇る。
岐阜県本巣市にある根尾谷淡墨桜は、樹齢1,500余年、樹高約16m、幹囲は約10mである。蕾から散ってしまうまで、淡いピンクから白を経て、散りぎわには薄墨のような色へと変化していくことから、「淡墨桜」と名付けられている。さまざまな色の花を鑑賞できる。
石戸蒲桜は埼玉県北本市にある。樹齢800年のエドヒガンザクラとヤマザクラが自然に交配したもので、世界に1本しかない貴重な桜である。ピンクと白の2種類の花が咲き、枝がかなり低い位置まで下りている。五大桜の中で都内から近いので、4月上旬には混雑している。朝早いと人が少なく、石戸蒲桜に朝日が当たるのが美しい。
そして、静岡県の狩宿下馬桜である。別名駒止めの桜とも呼ばれる。山桜の中で最古のものということで、日本五大桜で唯一特別天然記念物に格上げされた。所在地は、静岡県富士宮市狩宿98-2である。
1922(大正11)年10月12日に国の天然記念物に指定され、その後、1952(昭和27)年3月29日には特別天然記念物に指定された。またここから望む富士山の風景が、環境省が公開した「富士山がある風景100選」に選定されている。文部省編『天然紀念物調査報告』によると、かつては地上3尺6寸の高さにおける幹囲は8.48m、枝張は東西21.81m、南北16.33mであったというが、その後の数回の台風の影響で弱ってきており、樹勢が衰えている。
特別天然記念物に指定されている桜には、他にも「大島のサクラ株」がある。伊豆大島(東京都大島町)北東部の泉津地区の山中にある本種の株で、樹齢は推定800年であり、幹の周囲は7mに達する。主幹は高さ2mほどの部分を残して枯死しているが、数本の子株が立ち上がり、樹木を維持している。1935年12月24日、天然記念物指定され、1952年3月29日に特別天然記念物に指定された。
NPO法人東京樹木医プロジェクトのサイトにある和田博幸さんの記事によると、地元では「サクラッ株」と呼ばれ、天然記念物に指定されるずっと前から大切に保護されてきたという。昔、大島に向かって海を渡る時、この桜を目印に航海したと言われるほどの大木だったという。中心となる元株は樹高6.5m、胸高幹周6.95m、最大樹冠は9.5m(南-北)、最小樹冠7.3m(東-西)で、主幹が朽ち太枝が横たわり、一見するとあまり管理されていない古木の印象を受けるが、「サクラッ株は、自身の生命力と地元の管理があってこそ、今の形に姿を変えながら生き延びてきたことが、調査したことで分かったのです」と言う。そして大枝が元株と連なったようになっており、何年も前に元株の枝が台風などの強風で折れ、後にその場所で立ち上がったものと思われるとして、その過程を次のように想像できると、和田さんは述べている。
「①南側にあるホルトノキとスダジイに被圧され、サクラッ株が空間の開いている北東側に枝葉を伸ばす。②大風の影響などで太枝が、付け根がつながったままねじれるように倒れる。③太枝の付け根辺りから不定根が生じ、折れた枝の中を伸びる。
④不定根は地表と接した所に根を下ろし、残った地上部または根元付近から生じたヒコバエが伸び、幹となる。」
さらに、和田さんによると、
「サクラッ株は3月下旬には花を咲かせます。この時期大島ではツバキの花も併せて見ることができます。是非一度、驚異の生命力を持つサクラッ株を見に行ってください。」
また、「正確な記録として残されているものはありませんが、地質学的には1552年(天文21年)噴火の溶岩流の上に生えていることから、それ以後のものと思われます。 また、役の行者のお手植えという伝説もあり、役の行者(えんのぎょうじゃ)が699年に伊豆に流され、その時のお手植えということであれば、樹齢は1,300年となります。」
と追記がある。
日本三大桜というのは、福島県の三春滝桜、山梨県の山高神代桜、岐阜県の根尾谷薄墨桜の3つの巨木の桜のことで、これに埼玉県の石戸蒲桜と静岡県狩宿の下馬桜を加えると日本五大桜となる。
福島県田村郡三春町にある三春滝桜は、滝のようなベニシダレザクラである。町名の「三春」は、梅と桃と桜が一斉に咲いて三つの春が同時にやってくることによる。三春滝桜は樹齢1,000年を超える巨木で、枝の広がりは東西25m、南北20mある。
山梨県北杜市にある山高神代桜は、樹高10.3m、根元幹周り11.8mのエドヒガンザクラで、樹齢は2,000年と日本最古、最大級を誇る。
岐阜県本巣市にある根尾谷淡墨桜は、樹齢1,500余年、樹高約16m、幹囲は約10mである。蕾から散ってしまうまで、淡いピンクから白を経て、散りぎわには薄墨のような色へと変化していくことから、「淡墨桜」と名付けられている。さまざまな色の花を鑑賞できる。
石戸蒲桜は埼玉県北本市にある。樹齢800年のエドヒガンザクラとヤマザクラが自然に交配したもので、世界に1本しかない貴重な桜である。ピンクと白の2種類の花が咲き、枝がかなり低い位置まで下りている。五大桜の中で都内から近いので、4月上旬には混雑している。朝早いと人が少なく、石戸蒲桜に朝日が当たるのが美しい。
そして、静岡県の狩宿下馬桜である。別名駒止めの桜とも呼ばれる。山桜の中で最古のものということで、日本五大桜で唯一特別天然記念物に格上げされた。所在地は、静岡県富士宮市狩宿98-2である。
下馬桜と富士竹類植物園の位置
下馬桜の位置から富士山を見ると、宝永山の噴火口が隠れているので富士山の形が左右対称に見える。下馬桜から国道139号線を南下し、新富士料金所から新東名高速道路を通り、長泉沼津インターチェンジを出て、戻る方向に1キロほど行くと、駿東郡長泉町南一色885に、富士竹類植物園がある。車で40分ほどである。
富士竹類植物園は、木曜日、金曜日、土曜日の、10時から14時30分までだけ、500円(高校生までは200円)で入園できる。15時まで見学できる。切符を買うと、入口にいる女性が外に出てきて、先に立って道順を教えてくれる。竹より先に藤棚へ連れて行って、藤の説明をしてくれる。園内を見学していると、その女性がまたやって来て、辣韮の竹を見ろとすすめる。金色に光る今年竹を見つけたので、かぐや姫がいるというととても喜んでくれた。
富士竹類植物園は、木曜日、金曜日、土曜日の、10時から14時30分までだけ、500円(高校生までは200円)で入園できる。15時まで見学できる。切符を買うと、入口にいる女性が外に出てきて、先に立って道順を教えてくれる。竹より先に藤棚へ連れて行って、藤の説明をしてくれる。園内を見学していると、その女性がまたやって来て、辣韮の竹を見ろとすすめる。金色に光る今年竹を見つけたので、かぐや姫がいるというととても喜んでくれた。
富士竹類植物園内(左)と竹の資料館内(右)
富士竹類植物園は、日本国内や世界各地から集めた約400種類(栽培実績は500種類以上)の竹を観察できる、竹類の栽培展示種類日本一の竹類専門の植物園である。竹類のないヨーロッパの国で竹の庭園をつくるときなどにここが活躍しており、私はこの植物園のことをドイツの方から教えてもらったことがある。
株式会社エコパレの代表者柏木治次さんは、一般財団法人蓼科笹類植物園理事(元富士竹類植物園研究主任)で一級造園施工管理技士である。彼によると「自生する竹笹の無いヨーロッパの庭園で厳冬の竹の美しさを見てカルチャーショックを受けました。以来、竹の魅力を表現するために、分類や生態、広範囲の利用について研究してきました。竹は日本庭園のイメージが強いですが、種類が実に多いため、洋風建築や都市の空間にモダンな表現を膨らませることができると確信しています。また、竹笹の植栽には長年の経験から絶対的な自信があります」と、代表者挨拶で述べている。
竹は草でもなく木でもなく、生物学的にはタケ亜科に属する「竹」である。節があり、中が空洞で、他の植物にはない特性を持つ。食用としての筍があり、笛、筒、箱など道具に関する竹冠の字が多い。日本人は竹を暮しの中に取り込んできた。
竹の節の間隔は、根元が狭く、上に行くと長く、さらに先では短くなっている。根元は自重に堪え、先は枝葉を支え、中ほどの間隔で撓って強風の力を逃がす。強さを増すための仕組みはまだある。竹をスパッと切ってみると道管や師管と呼ばれる水と養分の通り道があり、その道管や師管の束を維管束鞘(いかんそくしょう)という。維管束鞘は外側ほど密に通っていて中心に近づくほど少なくなる。外側を丈夫にすることで竹自身を支持する役割を果たしている。維管束鞘は水や養分を通すと同時に、鉄筋コンクリートにおける鉄筋のような働きもこなしている。
一方、筍は生食もできるほど柔らかい。成長に伴って段々と木質化する。竹の特徴は、なんといってもその成長の早さである。2、3か月で10から20m伸びる。成長の最大記録は1日で1.2mである。成長しきってしまうと後は伸びも太りもしない。竹のすべての節に分裂組織があり、成長点が多いので早く成長する。筍に親と同じ数の節があって、どんどん伸びる。竹が生む養分は地下茎で筍に送られる。樹木の場合、種類や環境にもよるが、20mに達するには30年から40年はかかる。その点竹は、他の植物との光の奪い合いなど、生存競争においても有利になっている。
昔、竹の花が咲くと不吉な出来事が起こる前兆と考えられていた。開花周期が60年から120年と長く、めったに開花しないことから天変地異と結びついたのであろう。竹はイネ科である。稲穂に似た花を咲かせる。イネ科やカヤツリグサ科における花の構造を小穂という。開花時には花穂の先から雄蕊が垂れ下がり、「花」というが色鮮やかな花々とは異なる。一斉に開花した後で竹林全体が枯死する。竹は繁殖力が強く成長も早い。開花するやいなや全部枯れてしまう。開花後は結実することもあるが、成熟することが少なく、竹類の種類によって確率は異なる。竹の花は今でも大きなニュースとして扱われる。たとえば最近では静岡新聞が、浜松市の霊園で竹の花が咲き、訪れた人たちを驚かせていると紹介した。1960年代の後半、マダケが全国的に同調して開花するという現象が起こった。
日本に生育している代表的な種は、マダケ、モウソウチク、ハチクの3種類である。いずれも成長は早い。マダケとハチクは古くから日本に自生していたと考えられている。モウソウチクの導入時期については諸説あるが、1736年に中国から鹿児島に導入されたものが株分けされ、全国に広がったとされている。
マダケ(真竹、苦竹)は、稈が高さ20m、直径15cmにもなる大型種で、節間が長く通直(樹幹の元と末の大きさの差が少なく真っ直ぐな形状)で弾力性に富んでいる。そのため工芸品や建築材料など幅広い用途に用いられる。マダケの筍は春が旬で、苦みやあくが強いために市場に出回ることは少ない。マダケの節には環が2つあり、環が1つのモウソウチクとは節で見分けることができる。
モウソウチク(孟宗竹)は中国が原産で、日本には江戸時代に渡来したとされる。稈は高さ20m、直径は20cmになる大型種で、国内最大の竹といわれる。節の環は1つで節間は比較的短く、材質が肉厚で硬いのが特徴で、一般に春に筍掘りを楽しむのはこの種類のものであり、春の味覚の王様といわれる。
ハチク(淡竹、甘竹)は高さ20m、直径15cmになる大型種で、マダケに似ているが表皮全体に粉をふいているように白っぽく見えるのが特徴である。耐寒性があり、材質は柔らかく、細かく割りやすいことから、茶せんや提灯、簾などに利用されている。ハチクの筍はえぐ味がなく美味であるが、店頭には少ない。
株式会社エコパレの代表者柏木治次さんは、一般財団法人蓼科笹類植物園理事(元富士竹類植物園研究主任)で一級造園施工管理技士である。彼によると「自生する竹笹の無いヨーロッパの庭園で厳冬の竹の美しさを見てカルチャーショックを受けました。以来、竹の魅力を表現するために、分類や生態、広範囲の利用について研究してきました。竹は日本庭園のイメージが強いですが、種類が実に多いため、洋風建築や都市の空間にモダンな表現を膨らませることができると確信しています。また、竹笹の植栽には長年の経験から絶対的な自信があります」と、代表者挨拶で述べている。
竹は草でもなく木でもなく、生物学的にはタケ亜科に属する「竹」である。節があり、中が空洞で、他の植物にはない特性を持つ。食用としての筍があり、笛、筒、箱など道具に関する竹冠の字が多い。日本人は竹を暮しの中に取り込んできた。
竹の節の間隔は、根元が狭く、上に行くと長く、さらに先では短くなっている。根元は自重に堪え、先は枝葉を支え、中ほどの間隔で撓って強風の力を逃がす。強さを増すための仕組みはまだある。竹をスパッと切ってみると道管や師管と呼ばれる水と養分の通り道があり、その道管や師管の束を維管束鞘(いかんそくしょう)という。維管束鞘は外側ほど密に通っていて中心に近づくほど少なくなる。外側を丈夫にすることで竹自身を支持する役割を果たしている。維管束鞘は水や養分を通すと同時に、鉄筋コンクリートにおける鉄筋のような働きもこなしている。
一方、筍は生食もできるほど柔らかい。成長に伴って段々と木質化する。竹の特徴は、なんといってもその成長の早さである。2、3か月で10から20m伸びる。成長の最大記録は1日で1.2mである。成長しきってしまうと後は伸びも太りもしない。竹のすべての節に分裂組織があり、成長点が多いので早く成長する。筍に親と同じ数の節があって、どんどん伸びる。竹が生む養分は地下茎で筍に送られる。樹木の場合、種類や環境にもよるが、20mに達するには30年から40年はかかる。その点竹は、他の植物との光の奪い合いなど、生存競争においても有利になっている。
昔、竹の花が咲くと不吉な出来事が起こる前兆と考えられていた。開花周期が60年から120年と長く、めったに開花しないことから天変地異と結びついたのであろう。竹はイネ科である。稲穂に似た花を咲かせる。イネ科やカヤツリグサ科における花の構造を小穂という。開花時には花穂の先から雄蕊が垂れ下がり、「花」というが色鮮やかな花々とは異なる。一斉に開花した後で竹林全体が枯死する。竹は繁殖力が強く成長も早い。開花するやいなや全部枯れてしまう。開花後は結実することもあるが、成熟することが少なく、竹類の種類によって確率は異なる。竹の花は今でも大きなニュースとして扱われる。たとえば最近では静岡新聞が、浜松市の霊園で竹の花が咲き、訪れた人たちを驚かせていると紹介した。1960年代の後半、マダケが全国的に同調して開花するという現象が起こった。
日本に生育している代表的な種は、マダケ、モウソウチク、ハチクの3種類である。いずれも成長は早い。マダケとハチクは古くから日本に自生していたと考えられている。モウソウチクの導入時期については諸説あるが、1736年に中国から鹿児島に導入されたものが株分けされ、全国に広がったとされている。
マダケ(真竹、苦竹)は、稈が高さ20m、直径15cmにもなる大型種で、節間が長く通直(樹幹の元と末の大きさの差が少なく真っ直ぐな形状)で弾力性に富んでいる。そのため工芸品や建築材料など幅広い用途に用いられる。マダケの筍は春が旬で、苦みやあくが強いために市場に出回ることは少ない。マダケの節には環が2つあり、環が1つのモウソウチクとは節で見分けることができる。
モウソウチク(孟宗竹)は中国が原産で、日本には江戸時代に渡来したとされる。稈は高さ20m、直径は20cmになる大型種で、国内最大の竹といわれる。節の環は1つで節間は比較的短く、材質が肉厚で硬いのが特徴で、一般に春に筍掘りを楽しむのはこの種類のものであり、春の味覚の王様といわれる。
ハチク(淡竹、甘竹)は高さ20m、直径15cmになる大型種で、マダケに似ているが表皮全体に粉をふいているように白っぽく見えるのが特徴である。耐寒性があり、材質は柔らかく、細かく割りやすいことから、茶せんや提灯、簾などに利用されている。ハチクの筍はえぐ味がなく美味であるが、店頭には少ない。
今年竹の色(左)と竹の花(右)
富士竹類植物園にはこれらの他にもいろいろある。キッコウチク(亀甲竹)は、モウソウチクの変種で、上下の節の一部が接合し、亀の甲や仏様の顔のように見えることから「亀甲竹」、「仏面竹」と呼ばれる。庭園の植栽や飾り床柱、花器などとして珍重される。キンメイチク(金明竹、あるいは錦明竹)はマダケの園芸品種で、枝が伸びる稈の窪んだ部分「芽溝部」に緑の縦縞があるが、全体的には鮮やかな黄金色に見えることから、「金明竹(あるいは錦明竹)」と名付けられた。クロチク(黒竹)は、2年目以降は表皮や地下茎が黒く変色する。ホテイチク(布袋竹)は稈の下方部では節と節の間がつまって、節の下側が膨れて布袋様のお腹のように見える。しなりがあって折れにくいことから釣り竿に利用される。
シホウチク(四方竹)は秋に筍が生える品種で、稈の形が方形状で、横に切ると断面が四角く、しかも下方部の節にはとがった気根(幹から空中に伸びた根)が多数あるなどの外観が独特なため、庭園材料として珍重されている。高知では秋の筍として知られている。
竹は春に黄変する。筍に栄養分を費やすためである。逆に、秋には筍が一人前の竹となり、若葉を茂らせる。これを竹の春という。「竹の秋」、あるいは「竹秋」は晩春の季語、「竹の春」、あるいは「竹春(ちくしゅん)」は初秋の季語である。また「春の筍」は晩春の季語、「筍」、「筍飯」は初夏の季語である。
富士竹類植物園の園内案内図と実物を比べながら歩くと、竹の種類がよくわかる。その説明によると、自生する竹類の分布は、北緯51度から南緯47度の間になっており、オセアニア中南部、西アジア、アフリカの北部には竹類の自生がないという。全体的には寒帯は笹、温帯は竹、熱帯にはバンブーが多い。筍が猛るように成長することから「竹」、葉ずれの音から「笹」、山火事で破裂する音から「バンブー」という。成長とともに皮を落とすのが竹、皮が腐るまで落ちないのが笹、株立ちになるのがバンブーである。
シホウチク(四方竹)は秋に筍が生える品種で、稈の形が方形状で、横に切ると断面が四角く、しかも下方部の節にはとがった気根(幹から空中に伸びた根)が多数あるなどの外観が独特なため、庭園材料として珍重されている。高知では秋の筍として知られている。
竹は春に黄変する。筍に栄養分を費やすためである。逆に、秋には筍が一人前の竹となり、若葉を茂らせる。これを竹の春という。「竹の秋」、あるいは「竹秋」は晩春の季語、「竹の春」、あるいは「竹春(ちくしゅん)」は初秋の季語である。また「春の筍」は晩春の季語、「筍」、「筍飯」は初夏の季語である。
富士竹類植物園の園内案内図と実物を比べながら歩くと、竹の種類がよくわかる。その説明によると、自生する竹類の分布は、北緯51度から南緯47度の間になっており、オセアニア中南部、西アジア、アフリカの北部には竹類の自生がないという。全体的には寒帯は笹、温帯は竹、熱帯にはバンブーが多い。筍が猛るように成長することから「竹」、葉ずれの音から「笹」、山火事で破裂する音から「バンブー」という。成長とともに皮を落とすのが竹、皮が腐るまで落ちないのが笹、株立ちになるのがバンブーである。
姫竹
最北端に自生するチシマザサは、根曲竹と呼ばれ、日本に広く分布する。根元が弓なりに曲がっている笹で、筍がとても美味しく、山菜料理の中心的な存在である。信越から東北にかけては根曲竹と呼ばれることが多いが、例えば山陰地方などでは「姫竹」あるいは「姫筍」と呼ばれている。5月から6月が旬であり、アスパラガスのように細くて長いのが特徴のたけのこで、山菜として親しまれている。熊の好物でもあるので採るときには熊よけの対策が重要である。なんだとか。
クマザサ(隈笹)は九州、中国地方など西日本に多く野生がある。葉のふちが枯れて白っぽくなるのが特徴で、観賞用として美しいため、全国でよく植栽される。また、ほとんどの笹の種類に防腐作用がある。そのため、笹団子、粽(ちまき)など食べ物を包むのに利用されてきた。それらはアンソッコウ酸の殺菌防腐作用によるものである。民間療法では胃もたれに新鮮な若葉を青汁にして飲むことがある。
富士竹類植物園にある世界の竹の分布地図
竹類は世界中におよそ1500種あるといわれており、そのうちの約660種が日本にあるという。資料館に展示してある3本の大きな竹があるが、それは鹿児島県姶良(あいら)郡姶良町の孟宗竹で、目の高さの直径が約20cm、全長約25mである。その他、館内には工芸品、農具、漁具などが多く、ショップでは竹製品を買うことができる。
富士竹類植物園のガイドマップによると、ラッキョウヤダケ(辣韭矢竹)の根茎は「じゅず玉状になる」とある。当園にあるラッキョウヤダケの地下茎を掘ってみたところ、確かにその様になっていた。
薬草園のラッキョウヤダケ(左)とラッキョウヤダケの数珠玉状の根茎(右)
大学敷地内、薬草園にもマダケ、モウソウチク、ラッキョウヤダケ、クマザサなどの竹類が生えている。マダケは隣地からの侵入により繫殖している。秋から冬にかけて竹林に入り間伐する。真っ直ぐに伸びたマダケは良い支柱材になるため、園内で樹木の支柱や四つ目垣(柵)などに利用している。以前は竹材(マダケ)を庭園資材店で購入していたが、それを取りやめ、予算を他に流用するようにした。竹林の活用は各地で様々だが、荒れた竹林が多くあるため、駆除を目的に整備が必要な所もある。
澳门金沙官网_澳门金沙赌城¥博彩平台のモウソウチクの竹林(左)とクマザサ(右)
沼津垣 (2023年4月28日撮影 沼津市の大中寺にて)
道中に沼津市の大中寺を訪ねた際には沼津垣を見ることができた。沼津垣はハコネダケ(箱根竹)を網代模様に編み込んであり、職人の技術で丹念に作られる。繊細な美しさに加えて機能性もある。沼津は駿河湾に面し、西風や海岸の砂を防ぐ目的として設置され、江戸時代にはよく見られた。沼津垣は御用邸記念公園などで見ることができる。
若竹にゐるかもしれぬ迦具夜比売 和夫
エジソンの竹の筍どさと来る
活断層おかまひなしや竹の秋
西山のすとんと切れて竹の秋
竹秋や三角末端面覆ひ
破砕帯ここぞと伸びる今年竹
尾池和夫
エジソンの竹の筍どさと来る
活断層おかまひなしや竹の秋
西山のすとんと切れて竹の秋
竹秋や三角末端面覆ひ
破砕帯ここぞと伸びる今年竹
尾池和夫
●参考URL
農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2103/spe1_01.html
環境?自然?動物の保護活動やSDGsの取り組み情報サイト
https://cheer7arch.com/blog/bamboo/
静岡新聞
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/198464?display=1
●参考文献
『原色日本園芸竹笹総図説』
農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2103/spe1_01.html
環境?自然?動物の保護活動やSDGsの取り組み情報サイト
https://cheer7arch.com/blog/bamboo/
静岡新聞
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/198464?display=1
●参考文献
『原色日本園芸竹笹総図説』